なぜ私はコンビニオーナーになったのか?親に反対されても挑戦した理由

コンビニ経営

こんにちは、コンビニ大家です。

前回の記事では、コンビニオーナーになるために実際にかかったお金についてお話ししました。

今回は、

「なぜ私はコンビニオーナーになろうと思ったのか」

について書きたいと思います。

今から10年以上前の話です。

当時の私は30代前半の地方サラリーマンでした。

家族もいました。

周りから見れば、ごく普通の会社員だったと思います。

自分で積み上げたものを作りたかった

サラリーマン時代も一生懸命働いていました。

しかし、利益を出しても給料が大きく変わるわけではありません。

時間をかけて作り上げた仕事が、組織の都合でなくなってしまうこともありました。

次第に私は、

「自分で積み上げたものを作りたい」

と思うようになりました。

成功しても失敗しても自分の責任。

その方が納得して働けると思ったのです。

転職という選択肢もあった

兄からは転職サイトを勧められました。

私自身も実際に求人を探しました。

しかし提示される年収は、当時の年収より3割ほど低いものばかりでした。

会社に残る。

転職する。

独立する。

それぞれを比較した結果、私は独立を選びました。

父は最後まで反対だった

独立を決意しても、家族や親がすぐに賛成してくれたわけではありません。

特に父親は終始反対でした。

話を聞く耳すら持ってくれませんでした。

安定した会社員を辞めようとしている。

しかも家族がいる。

さらに借金までしようとしている。

父親が反対するのも当然だったと思います。

今ならその気持ちもよく分かります。

母の一言が流れを変えた

不足していた開業資金400万円を親に借りる相談をした時のことです。

父親は反対でした。

そんな中、母親が父親に向かってこう言いました。

「一大決心が400万円で済むなら安いもの。それぐらい用意してあげなさい。」

今でも忘れられない言葉です。

結果として、その言葉がきっかけとなり、親から400万円を借りることができました。

今振り返ると、お金を貸してくれたこと以上に、挑戦する気持ちを信じてくれたことがうれしかったのかもしれません。

親にお金を借りるのが一番つらかった

今振り返ると、借金そのものよりも親にお金を借りることの方がつらかったように思います。

かなり厳しい言葉も浴びました。

正直、簡単な話し合いではありませんでした。

それでも私は感情的にならず、自分の考えを伝え続けました。

後になって母から、

「よく感情的にならなかったね」

と言われたことを覚えています。

当時は必死だったので自覚はありませんでした。

ただ、それだけ覚悟を決めていたのだと思います。

契約の日

契約当日、私はボイスレコーダーを持参しました。

今思えば大げさだったかもしれません。

でも、それほど不安だったのです。

本当に大丈夫なのか。

借金を返せるのか。

家族を守れるのか。

結局、ボイスレコーダーを使うことは一度もありませんでした。

それでも当時の私にとっては、そのくらい慎重になる大きな決断でした。

それでも挑戦して良かった

結果的に私は独立して良かったと思っています。

もちろん順風満帆ではありませんでした。

しかし、コンビニ経営で学んだこと、人材育成で学んだこと、利益を生み出す仕組みづくりは、その後の不動産投資や資産形成にも活きています。

あの時の挑戦がなければ、今の私はありません。

まとめ

独立にはリスクがあります。

私も不安だらけでした。

親にも反対されました。

転職という選択肢もありました。

それでも挑戦したのは、

「自分で積み上げたものを作りたかったから」

です。

そして今、自分が親の立場になって思うことがあります。

もし子供が将来、

「こんなことに挑戦したい」

と言ってきたら、私はまず話を聞こうと思っています。

もちろん無条件に賛成するわけではありません。

しっかり考えた計画なのか。

本気で取り組む覚悟があるのか。

そこは確認します。

言うならば、

プレゼンありきです。

ただ、子供が自分の事業を持ちたいと言うのであれば、私は基本的には賛成です。

なぜなら私自身が、挑戦することの価値を知っているからです。

父は最後まで反対でした。

一方で母は、

「一大決心が400万円で済むなら安いもの。それぐらい用意してあげなさい。」

と言ってくれました。

今振り返ると、あの言葉はお金以上の価値がありました。

もし当時に戻ったとしても、私は同じ決断をすると思います。

あの時の挑戦があったからこそ、今の自分があるからです。

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